ミ- z -ミ_。
Book of the miracles
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いじわるな鏡
この半年余りの筋トレとダイエットが効いてだいぶ体が引き締まってきた。
以前はガラス戸や鏡に自分がうつると不思議だった。
自分の自己イメージと、実際の姿があまりに違うからだ。
それはほとんどコメディだった。

体重2Kgちょいの未熟児でうまれ、それ以降成人するまで、常に「背が高くて細い人」というのが周囲の(自分自身も含め)私に対する印象だったはずだ。

太ってからというもの、服屋でつるしてある服を試着してみると、想像と全く違う服になっていて、唖然として脱ぎ捨てたこともある。デザインの元として想定している体型と違いすぎたのだ。

ダイエットが軌道に乗ってくると、鏡を見てぎょっとすることが減った。
それどころか、喜ぶことが増えた。
あ!こんなに薄くなった!くびれが出来てきた!
お?足もだいぶ細くなったなーw

だけどいじわるな鏡がある。

それは毎日通う職場のビルの入り口のガラス戸だ。
自動ドアじゃないので、そばに行くまでずっとそこにいて
「君の足はまだまだ太くて醜いね」
とあざ嗤うのだった。

だから
私のダイエットの目標はその鏡に映った時でも、合格印が出せること、9号のスーツがきれることだった。

でも
鏡は笑ったりするだろうか?
実はそんなわけはない。
いじわるなのは自分。
自分を常に監視して、ここやあそこが全然だと、ダメだししては自分いじめ。

土曜日のカウンセリングで言われたのもまさにそれだった。

他人の行為は自分へのメッセージではない。
例え誰かが自分にひどいことをしても、その行為の理由は私が…例えば、殴られたのだとしたら殴られるに相応しい人間だから、ではなく、相手の側に殴る理由があってしている。
無視だったら、無視したいのは相手にとってそうせざるを得ない、多分相当な葛藤の産物であろうこと…
だから、私は、その無視によって透明化されたと感じなくてよい。無価値観に苦しまなくてよい。

相手の目的はそれではない、そもそも対人行為だろうと対人的目的など、ないことがほとんどなのだ。
各々がそれぞれの思いで動き、自分という檻の中でじたばたしている。
時々そこから出て他人に関わろうとする。だけど、近づきたくて出ていったはずでも、激しい不都合や葛藤が起きればさっさと自分の檻に戻ってしまう。

自分の価値を他人の眼の中にゆだねていてはいつもそんな時に自己崩壊が起きる。
取り残されるたびに激しい無価値観にさいなまれなければならない。
そうならないためには、自分が自分の真の味方であること。
自分の批評家であったり、警察であったり、処刑人であったりしてはいけないのだと。





他人は裏切るもの、が前提…か。
確かに。
それは私も感じたこと、そして、裏切られたと思った当のその人々も多分、私に感じていることなんだろう。

どちらが先に裏切ったのかなんて、拘っても仕方ないことなんだろう。

やっぱり、土曜日は良い日だったんだと思う。
車の前を横切る黒猫を轢かずにすんだし、どこにも、誰にも頼らず、その日だけでも一人で風を感じながら動けた。

こうやって少しずつ成功体験を積み重ねていけば、行きつ戻りつしながら漕ぎ出しいけるんでないかしら。

ただし困ったことには、今のところ、どうやったらいいのか、全くわからないのだけど。

鏡の中の自分に、もう少しだけ、時々はいじわるでない目を向けられるように。。
といいながら、その言葉にすごく反発を覚える、飼いならされた自分もいる。

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